大判例

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名古屋高等裁判所 平成6年(ラ)24号 決定

抗告人

伊藤喜一郎

右代理人弁護士

土屋公献

浦野雄幸

高谷進

花輪弘幸

小林哲也

小林理英子

相手方

鈴木あきらこと

鈴木斐

主文

一  原決定を取り消す。

二  相手方は、名古屋地方裁判所平成五年(ワ)第三一七五号損害金並びに貸付金の返還請求事件についての訴え提起の担保として、この決定送達の日から一四日以内に、金八〇〇万円を供託せよ。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。相手方は、一億五〇四七万円の担保提供をせよ。」との裁判を求める、というものであり、抗告の理由は、別紙抗告理由書(一)に記載のとおりである。

二  そこで、検討するに、商法二六七条六項、一〇六条二項は、株主から取締役の責任を追及する訴えが提起された場合において、「訴ノ提起ガ悪意ニデタルモノ」であるときは、被告である取締役の請求により、株主に担保を提供させることができるものと定めている。この規定は、元来、いわゆる会社荒らしに対処する目的で設けられたものであるけれども、右の担保提供の制度は、直接には、将来、代表訴訟の提起が不法行為に当たるとされた場合に、取締役が株主に対して有することのあるべき不法行為に基づく損害賠償請求権の履行を確保するという機能を有するものである。

しかるところ、代表訴訟が提起されると、被告とされた取締役は、応訴のために弁護士費用その他の費用の支出を余儀無くされるほか、その社会的・経済的信用が損なわれたり、さらに、その職務執行が萎縮し、適切な経営判断をすることができなくなるなど、様々な負担を強いられるから、代表訴訟の濫用は抑制されなければならないが、他面、株主が代表訴訟において敗訴の確定判決を受けたからといって、直ちに代表訴訟の提起を違法なものとするならば、株主に対し、その権利・利益を擁護するために、取締役の業務執行に対する是正監督権限を与えた代表訴訟制度の趣旨・目的を没却し、代表訴訟の利用を不当に制限する結果となりかねない。このような点にかんがみると、株主の提起した代表訴訟が、被告とされた取締役との関係において違法な行為となるのは、訴えの提起が代表訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる場合であると解され、さらに、株主の代表訴訟の提起が右のような違法な行為とされる蓋然性がある場合には、商法二六七条六項、一〇六条二項に基づく担保提供の申立てが容認されるべきである。

そして、右のような観点からすると、株主の代表訴訟の提起が商法二六七条六項の準用する同法一〇六条二項にいう「悪意」に出たものとは、株主たる地位に名を借りて不当な個人的利益を追及し、あるいは、取締役に対する私怨を晴らすことを目的とするなど、代表訴訟の提起が、株主としての正当な権利・利益を擁護し確保することを目的とするものではない場合のほか、株主の主張が十分な事実的、法律的根拠を有しないため、代表訴訟において取締役の責任が認められる可能性が低く、かつ、株主がこのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて代表訴訟を提起した場合がこれに当るものと言うべきである。

三1  これを本件について見るに、本件本案訴訟は、株式会社東海銀行(以下、「東海銀行」と言う。)の株主である相手方から、東海銀行の代表取締役頭取の地位にあった抗告人に対して提起された株主代表訴訟であるところ、相手方の主張によれば、取締役としての抗告人の責任は、次の①ないし③のとおりである。

①  平成四年四月一日から平成五年三月三一日までの東海銀行第九一期決算期中において、株式会社セントラルファイナンス(以下、「セントラルファイナンス」と言う。)支援と称し、同社の抱える尾上縫に対する債権のうち、全く回収不能な不良債権一一一億九七〇〇万円相当を正当な理由なく肩代わりし、同額を東海銀行の貸倒引当金に繰り入れて償却した。

②  セントラルファイナンスの子会社であるセントラルファイナンスサービス株式会社(以下、「セントラルファイナンスサービス」と言う。)に対し、東海銀行の資金一一〇〇億円を無担保、無利子同然(減免金利年二パーセント)で貸し出したが、セントラルファイナンスサービスは、親会社の抱える全く回収不能な不良債権を分離譲渡するために設立された、言わば不良債権の管理会社であって、借財返済の財源も能力もないから、右の融資は、元金自体が全く回収不能となる、貸倒れ見込みの不正・不法な背任融資である。

③  右のセントラルファイナンスサービスに対する一一〇〇億円の貸付けについて、東海銀行に対し、金利減免により、減免金利(年二パーセント)と一般貸出平均金利(年5.5パーセント)との受取利息差額分三八億五〇〇〇万円相当の損害を与えた。

なお、セントラルファイナンスは、東海銀行の株主でもあるから、相手方が東海銀行に与えた①、③の損害合計一五〇億四七〇〇万円は、東海銀行に対する背任行為であるのみならず、株主への利益供与の禁止にも反するものである。

2  そこで、本件代表訴訟において、右の抗告人の責任が認められる可能性があるかどうかについて検討する。

まず、①については、本件疎明資料によれば、東海銀行が、セントラルファイナンスから、同社が尾上縫に対して有していた債権一一一億九七〇〇万円を譲り受け、これを東海銀行の貸倒引当金に繰り入れて償却したこと、右債権が事実上回収困難な、いわゆる不良債権であることを認めることができる。

しかしながら、本件疎明資料によれば、右の債権譲受け・償却当時は、いわゆるバブル経済の崩壊に伴う株価と不動産価格の大幅な低下により、不動産業者に融資をしたノンバンクの信用不安が表面化していた時期であり、大蔵省及び日銀の金融当局は、金融システムの崩壊を回避するため、いわゆる母体行(母体銀行)が系列ノンバンクを支援するよう求める行政指導をしていたこと、一方、セントラルファイナンスは、東海銀行が筆頭株主であり、役員の過半数も東海銀行関係者が占めていて、金融界においては、東海銀行系列のノンバンクと認識されていたこと、そして、平成三年下期においては、セントラルファイナンスも、バブル経済崩壊の影響を受けて多額の不良債権を抱えており、自力で不良債権の償却をすることが困難な状況にあったこと、そこで、セントラルファイナンスの母体行である東海銀行としては、セントラルファイナンスに対する信用不安を回避し、さらに、母体行である東海銀行の信用失墜により直接・間接に様々な損害が発生するのを避けるため、やむを得ない措置として、セントラルファイナンスが尾上縫に対して有していた債権一一一億九七〇〇万円を譲り受け、これを東海銀行の貸倒引当金に繰り入れて償却するという支援策をとったことが認められる。

右のような支援策をとることが経営判断として合理性の範囲を逸脱するものかどうかについては、最終的には、本案である代表訴訟おいて慎重に判断されるべき事柄であるが、右に認定したような経過にかんがみると、抗告人について背任行為ないし取締役としての忠実義務違反の責任が認められる可能性は低いものと考えられる。相手方は、この点に関し、東海銀行がセントラルファイナンスを支援すること自体には異論はないが、セントラルファイナンスが法的には連結決算の対象となる東海銀行の子会社ではないことからすれば、支援の方法に問題があるとし、第三者割当増資の引受け又は融資枠の拡大の方法をとるべきであったと主張するけれども、これらの支援策が不良債権の引受けに比して適当な方策であったとは認め難く、抗告人の経営判断に著しい誤りがあったと認めることはできない。

次に、②のセントラルファイナンスサービスに対して一一〇〇億円を無担保、無利子同然(減免金利年二パーセント)で貸し出したという点については、本件疎明資料によれば、東海銀行が、セントラルファイナンスサービスに対し、一一〇〇億円を融資した事実は認められるものの、右の貸付けの担保として、平成四年三月一一日付けで、極度額八二五億円の転根抵当権の設定を受け、また、セントラルファイナンスサービスが貸付先に対して有している元本総額四五〇億円の債権について債権譲渡予約契約を締結し、優先的に東海銀行のセントラルファイナンスサービスに対する債権の弁済に充当するものとされていることが認められる。このように東海銀行は、セントラルファイナンスサービスに対する一一〇〇億円の融資に際し、一二七五億円の不動産担保及び債権担保を取得しているから、相手方の主張するように元金の回収自体が全く不能であるとは認められず(相手方は、右の担保の時価価値は著しく低いと主張するが、これを裏付ける資料はない。)、右の融資が前認定のようなセントラルファイナンス支援策の一環として行われたことをも併せ考えると、抗告人について背任行為ないし取締役としての忠実義務違反の責任が生じる可能性はほとんどないものと考えられる。

さらに、③のセントラルファイナンスサービスに対する一一〇〇億円の融資に当たり金利減免により東海銀行に損害を与えたという点については、本件疎明資料によれば、右の貸付けの金利は、相手方の主張する年二パーセントという固定利率ではなく、公定歩合に連動した利率(貸付け時の利率は、年4.5パーセント)であると認められるから、相手方のこの点についての主張は、理由がない。

3  以上のとおり、本件においては、相手方の主張がいずれも十分な事実的、法律的根拠を有しないため、代表訴訟において取締役である抗告人の責任が認められる可能性は低く、かつ、通常人であれば、容易にこのことを知り得たと判断せざるを得ないのであり、このことは、たとい、相手方において、独自の価値観や法解釈から自己の請求に理由があると信じているとしても、別異に解すべきものではない。

してみると、相手方の本件代表訴訟の提起は、抗告人の主張するその余の点について判断するまでもなく、商法二六七条六項の準用する同法一〇六条二項にいう「悪意」に出たものと認めるべきである。

四  次に、相手方に供託させる担保の額について検討するに、前記のとおり、本件の担保は、抗告人が相手方に対して有することのあるべき不法行為による損害賠償請求権の履行を確保するためのものであるから、担保の額は、将来、抗告人が相手方に対して損害賠償請求訴訟を提起した場合に認容される可能性のある損害額を基準として定められるべきものであると解する。

本件疎明資料によれば、抗告人は、本件代表訴訟に応訴するため、本件抗告人代理人らに訴訟代理を委任し、既に着手金として二〇〇万円を支払ったほか、代理人の交通費、調査費等の実費を支払うことを約しており、また、弁護士会の弁護士報酬等基準規程に従い、各審級の報酬を支払うことを約していることが認められる。本件事案の性質、難易等にかんがみると、第一審から上告審までの訴訟遂行に要するであろう弁護士費用のうち、少なくとも五〇〇万円は、本件代表訴訟の提起と相当因果関係のある損害に当たると認めるべきである。

また、抗告人は、本件訴え提起当時、東海銀行の代表取締役頭取の地位にあったところ、相手方の本件代表訴訟の提起により、公私ともに多忙な中を、調査や代理人との打合わせ等に相当の時間を費やさなければならなかったほか、本件代表訴訟を提起されたことにより、少なからず社会的・経済的信用と名誉を傷つけられ、相当の精神的苦痛を被ったものと認められる。

以上の事情を総合すると、相手方の提供すべき担保の額は、八〇〇万円と定めるのが相当である。

五  よって、本件担保提供の申立てを却下した原決定は不当であり、本件抗告は理由があるから、原決定を取り消した上、相手方に対し、本件本案訴訟についての訴え提起の担保として、この決定送達の日から一四日以内に八〇〇万円を供託するよう命じることとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官河邉義典 裁判官岡本岳)

別紙抗告理由書(一)

原決定は、以下の理由により取り消されるべきものである。

第一 訴えの提起が違法とされる場合と「悪意」

一 原決定は、「被申立人による本件訴訟の提起が商法二六七条六項の準用する一〇六条二項所定の『悪意』に出たものというには、被申立人(原告)において、取締役である申立人(被告)が東海銀行に対して負うべき責任のないことを知りながら、専ら申立人を害する企図をもって提起した訴えであることが必要であると解すべきである」旨判断し、抗告人の申立てを却下している。右判断は、「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限るものと解するのが相当である」との最高裁判例(最判昭六三・一・二六判時一二八一号九一頁)に依拠するものと考えられる。

二 確かに商法二六七条六項の準用する一〇六条二項における担保提供の制度は、原告の提訴が不当訴訟に当たるとき民法七〇九条に基づき被告取締役が原告株主に対して取得する損害賠償請求権を保全するためのものである。しかしながら、右一〇六条二項における「悪意」か否かの判断を、代表訴訟の趣旨目的から考えるとき、原決定のように単純に「取締役が会社に対して負うべき責任のないことを知りながら、専ら取締役を害する企図をもって訴えを提起した場合」に限定するべきではないことは明らかである。前記最高裁判例は、一般論として訴えの提起が違法となる場合につき述べているにすぎず、決して個々の訴訟における特殊性、制度趣旨までも考慮に入れない趣旨ではないのである。

すなわち、代表訴訟は、個々の株主に会社の有する取締役への責任追及の権利を会社のために行使することを許し、会社の利益ひいては株主の利益を図るために認められた制度であるから、株主が右代表訴訟の趣旨を逸脱して、純然たる個人利益の手段として代表訴訟を提起することは許されず、そのような代表訴訟の提起が違法な行為となることは当然である(長崎地判平三・二・一九判時一三九三号一三八頁)。したがって、商法二六七条六項の準用する一〇六条二項所定の「悪意」に該当するか否かの判断基準としては、原決定のいう「取締役が会社に対して負うべき責任のないことを知りながら、専ら申立人を害する企図をもって訴えを提起した場合」のみならず、「代表訴訟の趣旨に反して、個人利益の手段として、取締役を害する企図をもって訴えを提起した場合」をも包含させなければならないのである。

前記最高裁判例も、訴えの提起が「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認めれるとき」に違法となる旨判断しており、代表訴訟の場合に、「悪意」の意義に「代表訴訟の趣旨に反して、個人利益の手段として、取締役を害する企図をもって訴えを提起した場合」をも包含させたとしても、決して右最高裁判例に反するものではない。

三 以上のとおり、本件訴訟の提起が、商法二六七条六項の準用する一〇六条二項所定の「悪意」に出たものというには、「代表訴訟の趣旨に反して、個人利益の手段として、取締役を害する企図をもって訴えを提起した場合」をも該当すると考えれば、原決定においては、相手方(被申立人)が、職業的特殊株主(いわゆる「総会屋」、以下「総会屋」という)として活動を展開していることを認定しているのであるから、本件訴えの提起も、総会屋として、株主総会の円滑な進行を妨害し、総会屋の存在を誇示し、それにより東海銀行の社会的評価を下落させ、それに伴い申立人(被告)の名誉と社会的地位を失墜させて同人に重大な経済的・精神的苦痛を与えることを目的としたものであることは明白であり、まさに「悪意」に出たものであると判断されるべきである。およそ、総会屋の提起する株主代表訴訟は、固有の株主としての正当な共益権の行使とは到底認められず、株主の権利行使に藉口した提訴権の濫用そのものであり、まさにそれ自体が専ら申立人(被告)を害する企図をもってした行為であることは明らかである。

第二 代表訴訟以外の訴訟における「悪意」との対比

一 本件原決定は、代表訴訟における担保提供申立に対する初めての司法判断であり、これまでこの点についての判例は存在しないのであるが、商法一〇六条二項の担保提供申立については、株主総会決議取消訴訟及び株主総会決議無効訴訟等において、いくつかの判例が存在する。これらの判例との対比において、代表訴訟における担保提供の「悪意」の内容も考察されなければならない。

二 まず、これまでの判例の要旨を概観すると、以下のとおりである。

1 泰正自動車事件(株主総会決議不存在確認事件)

商法一〇六条二項は、「株主が原告である場合についていえば、原告が株主の権利の正当な行使としてではなく、いわゆる会社荒らしのように会社の権利を乱用してことさらに会社を困らせるため訴を提起することがあるので、このような訴の提起を抑制する必要があり、他方株主の権利の正当な行使を妨げないようにすることも要請されることから、会社において前記の点(訴えの提起が「悪意」に出たものであること)を疎明したときにのみ原告に対し担保の提供を命ずることとしたのであって、右規定にいう『悪意』とは『害意』の意に解される」(東高決昭五一・八・二判時八三三号一〇八頁)。

2 山崎製パン事件(株主総会決議無効確認事件)

「被申立人の本件訴の提起は、被申立人が株主としての正当な利益を保護する目的を有せず、ことさらに申立会社を困らせる意図の下になされたものと推認することができるから、商法第二五二条、第二四九条、第一〇六条第二項所定の『訴の提起が悪意に出たとき』に該当すると解するのが相当である」(東地決昭五三・七・一四判時九一三号一一二頁)。

3 三越事件(株主総会決議取消事件)

「被申立人の本件訴の提起は、株主としての正当な権利利益を擁護・確保するという目的からではなく、これによって申立人を困惑させることを意図するとともに、百貨店業を営む著名な申立人を被告とする訴訟の提起とその遂行により自己の個人的心理満足を得るために行ったものと推認することができる。したがって、本件訴えの提起は、商法第二四九条第二項において準用する同法第一〇六条第二項の『悪意』に出たものというべきである」(東地決昭六二・一一・二七判時一二六八号一三七頁)。

4 七十七銀行事件(株主総会決議取消事件)

「相手方の本件訴の提起の目的は、株主の正当な利益を保護するための権利行使ではなく、申立人を困惑させて在職中の処遇に対する不満や、土地取引をめぐる相手方の態度に対する不満を晴らすことにあったことが推認できる。したがって、本件訴えの提起は、商法二四九条二条において準用する同法一〇六条二項の『悪意』に出たものであると認められる」(仙台地決平三・一二・一六判時一四三三号一三六頁)。

5 東京瓦斯事件(株主総会決議取消事件)

「本件訴訟の提起は、相手方が株主の正当な利益を保護するための権利行使として行ったものではなく、申立人に対する理不尽な要求が拒絶されたことに関連して申立人を困惑させる意図のもとに行ったものであると推認することができる。したがって、本件訴訟の提起は、商法二四九条二項において準用する同法一〇六条二項の『悪意』に出たものというべきである」(東地決平五・三・二四判時一四七三号一三五頁)。

三 以上から明らかなとおり、商法一〇六条二項の「悪意」については、これまで判例は、いずれも訴訟提起をした者の「加害意図」と解しているのであり、原決定のように「請求に理由がないことの知情」を要件とはしていないのである。これら判例については、株主総会決議取消訴訟のような取消事由が法定されている場合には、決議の瑕疵の不存在についての知情は一見極めて明白であるから要件となっていないにすぎないとの反論も考えられるが、株主総会決議不存在訴訟や株主総会決議無効訴訟のような不存在事由や無効事由が法定されていない場合においても、「請求に理由がないことの知情」が「悪意」の要件とされていないことからすれば、商法一〇六条二項の「悪意」については、判例は「加害意図」のみを要件としているものと解するべきである。

四 したがって、これまでの商法一〇六条二項の「悪意」についての判例に従う限り、代表訴訟においても、株主の訴え提起が「悪意」に出たものか否かの判断は、その訴えの提起が、株主としての正当な権利行使であるか否か、すなわち取締役に対する「加害意図」の有無により判断がなされるべきである。原判決のように「取締役が会社に対して責任がないこと(請求に理由がないこと)の知情」を「悪意」の要件に加えるのは、これまでの同種判例の主流的判断基準を覆すものであり、加えて「取締役が会社に対して責任がないこと(請求に理由がないこと)の知情」の疎明を担保提供の申立人(被告)に負担させることは、本来、本案訴訟おいて被申立人(原告)が請求原因(「取締役に責任があること」)について立証責任あるものを、立担保の段階で逆転させるものであって、理論的にも到底認められるものではない。

第三 代表訴訟における手数料の軽減化と担保提供制度

一 仮に、商法一〇六条二項の「悪意」について、代表訴訟において「加害意図」のほかに「取締役が会社に対して責任がないこと(請求に理由がないこと)の知情」を要件として加えるべき場合があるとしても、今回の商法改正において代表訴訟の貼用印紙額が一律金八二〇〇円と軽減化されたことから、濫訴の防止の観点を踏まえ、制度的にも緻密な要件の構築がなされなければならない。

すなわち、代表訴訟における訴訟費用の軽減化は、一方では正当な株主としての権利行使を容易にし、株主による経営管理機構に対する直接的監視機能を強化するとともに、他方では総会屋の会社荒らしとしての活動の一手段として代表訴訟を利用することを容易にしたのである。今回の商法改正が、前者の立場に基づきなされたことは明らかであるが、後者の濫訴の弊害に対しては何ら手当もなされていないことも明らかである。このような代表訴訟における訴訟費用の軽減化の弊害に対して被告取締役の唯一の対抗手段というべき担保提供の申立において、「悪意」の要件として一律に「加害意図」という要件とともに「取締役が会社に対して責任がないこと(請求に理由がないこと)の知情」を要件とすることは、裁判所が正当な株主権の行使とは到底認められない総会屋の今後の株主代表訴訟の濫訴を制限なく容認する結果となり、今回の商法改正の目的にも逆行するものである。ここにおいては、正当な株主権の行使としての株主代表訴訟と総会屋が専ら濫訴として提起する株主代表訴訟とは明確に区別されなければならず、これを「株主」という地位があるからといって同一に論ずる原決定は、社会的にも、到底容認されるところではない。

二 以上のとおり、被申立人(原告)の提起した本件株主代表訴訟は明確に株主の濫用であり、まさに「加害意図」でなされたことは明白であるが、代表訴訟における担保提供の申立において、「悪意」の要件として「取締役が会社に対して責任がないことの知情」を加えるとしても、まず濫訴か否かの判断が先行されるべきであり、この、「加害意図」の要件を判断し、「加害意図」が疎明された場合には、それだけで訴えの提起が「悪意」に出たものと認定し、「加害意図」の疎明がなされなかった場合には、次の段階として「取締役が会社に対して責任がないことの知情」の有無が判断されるべきである。そこで「取締役が会社に対して責任がないことの知情」が疎明された場合には、やはり訴えの提起が「悪意」に出たものと認定されることになるのである。このように二段階にあるいは並列的に「加害意図」と「取締役が会社に対して責任がないことの知情」という要件を考えることにより、株主による経営管理機構に対する直接的監視機能の強化と濫訴の防止という異なった制度目的を調和させることができるのである。

原決定のように「悪意」の要件として、「『加害意図』及び『取締役が会社に対して責任がないことの知情』」と考えることは、濫訴としての代表訴訟を一切防止することができない。仮に要件として「取締役が会社に対して責任がないとことの知情」を加えるとしても、右に述べたとおり「悪意」の要件は、「『加害意図』」若しくは『取締役が会社に対して責任がないことの知情』」と考えなければならないのである。

三 前記のとおり、本件は代表訴訟における担保提供の申立の初めてのケースである、代表訴訟の手数料軽減についての商法改正後において、今後の代表訴訟のありかたを左右すると言っても過言ではない事件である。本件の結論によっては、総会屋による濫用的代表訴訟提起の激増が予想され、かえって正当な株主の権利行使が阻害されるという事態も招来しかねないのであり、抗告裁判所におかれては、正当な判例の形成のためにも慎重なる御審理を切望する次第である。

四 右の観点から、抗告人においては、当事者審尋を求め、また、各株主総会における相手方の議事妨害の詳細を撮影したビデオテープの検証の申出をする用意もあり、また相手方の反論により、さらなる主張あるいは疎明(「取締役が会社に対して責任がないことの知情」についても)の提出も用意していることを申し添える。

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